スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[PR] 中国語留学のサポートなら

《手紙》;東野圭吾 

差別はね、当然なんだよ。
犯罪者やそれに近い人間を
排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。

+++
神戸連続児童殺傷事件後、生放送の某討論番組に参加していた青年が“有識者”に対し、「なぜ人を殺してはいけないのですか」と質問し、オトナが誰も青年に対しその場で明確な回答を与えることができなかった、という「事件」を覚えている。
当時28歳のイイオトナであったわたしにとっては、連続児童殺傷事件そのものより、「なぜ人を殺してはいけないのか」と質問する青年の存在の方が衝撃であり、しかし面と向かってそう質問された時、いったいなんと答えれば「彼」を納得させることができるのか、いや、そもそも本当に人を殺してはいけなかったのか、そう思い込んでいるだけなんじゃないか、とさえ思えてきたことに愕然とした。

この本は、前述の青年からの“素朴な質問”に対する東野圭吾の回答のように思えた。
人は人を殺してはいけないのだ。

文中、電気店での人事に関し、社長が話をするシーンがある。
今後この本を読まれる方の為に詳細は書けないが、このシーンがわたしには一番リアリティーを感じた。
組織というものの考え方を改めて感じた。

+++
先日、相棒と「死刑」についての話をした。

簡単に言えば、「是」か「非」か。ひっくり返せば、自分が死刑になるということについてどう考えるのか。

相棒の意見;死刑では死にたくない。

わたしの意見;自分が殺人犯であったなら、死刑にして欲しい。

例え意図したことでなくともわたしが誰かを殺し、その周囲の人を癒すことのできない悲しみに落としてしまったなら、その悲しみを受けてわたしは生きていくことはできないと思う。一方、自殺して自分だけがその苦しみから逃げるのは、わたしの周囲の人間に対し迷惑を残してしまう。法の裁きの下、わたしの生を断ってしまうことが一番わたしにとって楽な解決方法に思われるのだ。(だから、その点に関してのみ池田小学校・乱入殺傷事件の犯人である宅間守の判断には共感できる)

そして、これは本当は一番卑怯な解決方法なのだとも思う。
結局のところ、殺人の罪は償うことなどできない。
余談だが、まさにその恐怖のために、わたしは車の運転ができない。

わたしは自分が頭がおかしくなって、人を殺したりすることがないよう、なるべく追い詰められないで生きて行きたいと思っている。



 

 

スポンサーサイト

[PR] 中国語留学のサポートなら

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://weeklychinalife.blog103.fc2.com/tb.php/55-a23589ec

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。