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日本の教育にビックリ!@北京 

昨日、韓国の教育の熱心さについて書いたのだが、一方日本ではこんな教育がおこなわれているらしい。
これはこれで、衝撃的だった。


えんぴつえんぴつえんぴつ
鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?

鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいない。リーダーを決めれば差別につながる、との抗議を人権団体などから受け自粛した結果なのだそうだ。
しかし、2009年春から鳥取市で1校だけ20年ぶりに「学級委員長」が復活する。市の教育委員会が2、3年前から子供達の社会性、自主性を育てるために復活を呼び掛けてきた成果らしいが、後に続く学校が現れるかはわからないという。

■徒競走もコースを変え、同時にゴールする

 鳥取県の公立小学校が「学級委員長」を無くしたのは、人権団体などから「委員長になれなかった子供が傷つく」「自分にはできないと劣等感が生まれる」などの抗議があり、自粛が全県に広がったためだという。図書委員、保健委員といった担当者はいるが、これらの委員は全て横並びの関係にしている。
また、「差別」の観点から、運動会の徒競走でも全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供に対しては、コースをショートカット(近道)したり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もあるのだそうだ。

えんぴつえんぴつえんぴつ 



言葉も出ない。


「リーダーを決めれば差別につながる、との抗議を人権団体などから受け」って、どんな人権団体だ?!
もしや日本にはいまだに影のGH◆があり、日本人がダメダメに育つように文科省をコントロールしているんじゃないかと疑ってしまう。


これを決めた人たちは、これが本当に教育だと思っているのだろうか?
そんなトイレットペーパーより薄い配慮は、社会に出たらとたんに流されることぐらい、3秒も考えなくてもわかるだろう。


集団がいれば、リーダーになる子とならない子が出るのは当たり前だ。
それは差別じゃない。資質の問題だ。


かなり昔の話になるけど、大竹まことがおニャン子クラブの公開オーデションでの話をしていたのが印象深かった。
とある不美人な女子がオーディションに来て、当然ながら落ちた。
その時、その不美人女子は、まさか自分が落ちるとは思っていなかったようで、スタジオで大泣きしていたのを大竹まことが見ていて、


「ここに来るまでの過程で誰か、『おまえはブスだ』って教えてやる奴がいなかったのかね。あれは可哀そうだ。」


と言っていた。
誰かが教えてやっていれば、TVに出て恥をかくこともなかったのに、と。
(たぶん、その子はかなりの不美人で、視聴率を取るネタ的にスタジオオーデションに呼ばれたのだろう。TVは残酷だ。)


中国の学校教育は、これとは正反対で、勉強のできる子が班長などになる。
できる子にはチャンスが与えられ表舞台に立つ機会が多い反面、勉強のできない子へのフォローは薄い。
地方で1クラス60人ぐらいいる学級では、後ろの20名ぐらいはいないものとして授業が進められている。
少なくとも子供のうちから「競争」の意味を知っている。


中国の学生を見ていて、これは日本の教育のいい面だな、と思うのが、部活動だ。
中国では日本のような組織立った部活動は行われていない。


部活で良いと思うのは、子供の社会の中に先輩・後輩の概念が育つこと、また自主運営する力が付くことだ。
先輩を敬うというのは、日本的な社会習慣で煙たがる人もいるかと思うが、年長者の意見を聞く、という習慣が付くことは悪いことではないと思う。
部活の中でリーダー的存在の子が出てきたり、サポートがうまい子が出てきたりと、だんだんと社会の中での自分の立ち位置みたいなものが見えてくる。


ちょっと前の教育で、「個性を伸ばす」なんてことも言っていたが、これもわたしから見たら笑止千万。

 
そもそも「個性」の動詞って“他動詞”(伸ばす)なのだろうか?
“自動詞”(伸びる)じゃないの?


歌舞伎役者の坂東玉三郎は、若い当時、“型”を守っていないと批判されていた。
しかし、玉三郎の談によると、自分は一寸も型を破ってはいないという。
彼は伝統に忠実に型通りに踊っている。


しかし、「型を破っている」ように見えたのは、彼の身体が従来の歌舞伎役者と違ったからだ。
女形としては高すぎる身長と長い腕、そして小さい顔。
それが同じ型を取っていても、足や腕の長さが違うので、型が違うように見える。
そして、それが美しいと称賛され、彼は人気役者になっていく。
それを見てやっかんだ人が「玉三郎は型破りだ」と批判しているのだ。


型を守っても、尚違って見える。
このはみ出した部分を「個性」と呼ぶのではないだろうか。


最初から基礎や型の無いものに、個性も何もないと思う。


そして、学校は基礎や型を学ぶ場所だと認識しているので、
わざわざ個性を伸ばす教育などしなくてもよい、とわたしは思っている。


北野武が「子供のうちにスポーツをするのは良いことだ」と言っていた。
それは、負けることを知るからだ、と。


野球でも、バスケでも、どれだけ一生懸命練習しても、優勝できるのは1校だけ。
優勝校以外の学校の選手が努力しなかったわけではない。
でも、勝てるのは1校だけと決まっている。


負けたら悔しいし、みんな、泣く。
悔しくて泣く。
心から泣く。


努力しても報われないことがあることを知る。


これって、すごく大事だと思う。


運動会の徒競走で全員が同時にゴールイン?
わたしに子供がいたとしても、そんな学校には入れたくないな。


がんばっても負ける。
努力しても報われない。


それは子供の時から身をもって知っておくべき体験だと思う。


それを知らないで、いきなり社会人になって、ガラスの神経ですぐに傷つく人間を作ってもらったら、本当に迷惑。
柔道でも、最初は「受け身」から練習するように、うまい転び方、致命傷を受けない転び方を身につけないと、折れたことのない子が大きくなってから突然折れることのほうが、よっぽど危険だ。


わたしだって、靴箱の上靴の中にゴキブリの死骸が入れられていたこともあったし、クラスメートに変なあだ名をつけられたこともあったし、クラスで一緒に弁当食べる子は1人しかいなかったし、文化祭の打ち上げにも声掛けてもらえなかったし、なんかいろいろとあったけど、いじめられてるから学校に行きたくない、なんて思ったことはなくて(いや、「いじめ」という概念も無かったし、どちらかというと孤立していたんだな。だからといって「透明なボク」気取りで何かしてやろうとも思わなかったけど。)、それはそれでそういうもんだと思って、世の中には馬鹿がいるなぁ、と思ってやり過ごしていた。


案の定、社会人になってからも、わたしの送別会のときに


「あなたの送別会に参加しなくちゃいけないから、早く家に帰れない。あ~あ。」


と先輩社員に直接言われたし、転職後の会社でも、上司から無視されて仕事のメール転送してもらえなかったけど、そんなことにいちいち傷ついていたら生きていけない。


弟も中学生の時ガラの悪い友達にボコられて顔を腫らして帰ってきて、翌日怖いから学校に行きたくない、と言っていたが、母親はそれを許さず、翌日弟は1人で学校に行った。子供の喧嘩に親は介入しなかった。


ヒトがたくさんいたら変な奴・合わない人間は必ずいるし、傷つかずに生きていくなんて不可能なんだから、逆に厳しい環境に立たされた時、どう自分の心を守るのか、そのスキルを子供のころから伸ばしていくことこそが重要だと思うんだけど。


心の守り方なんて、誰も教えてくれないよ。


自分が思いっきり傷ついて、負けて、泣いて、現実を飲み込む体験を自分でしないと、そんなスキルは育たない。
だから、一生懸命頑張って、試合に負けたらいいと思うし、試験に落ちてもいいと思う。
(わたしなんて、何回負けて、何回落ちたんだ?気合を入れた試験ほど、全滅している。人生のトータルで言ったら、絶対に負けがこんでいる。)


T県の教育委員会って、負けたことがない人ばかりなんだろうか。
負けること、リーダーになれないことがダメなことだと思っているんじゃないだろうか。
でも、勝つ人より、負ける人のほうが絶対的に多い。
勝つ人だけで作った委員会なんて、何の意味もない。
そんな大人が作る社会で育てられる子供のほうこそ、いい迷惑。


中国や韓国の教育が全て良いとは思わないけど、このままじゃ負けるね。
彼らの中にも当然競争に負けて潰される子が出てくると思うけど、日本に競争を挑んでくるのは、途方もなく厳しい競争を勝ち抜いた勝者たちなのだから、そんな猛者に、腫れ物に触るような平等主義で育てられた子供たちが太刀打ちできるわけない。


T県のエラい人たちは、子どもたちが大人になったときに必ず競争相手になる韓国や中国の教育現場を見に行って、未来のライバルがどうやって大きくなっているのか、確認したほうが良いと思う。
欧米の教育を視察しに行くのも無駄じゃないけど、彼等が直接対決するのは、まず中国・韓国だと思うのだよ。


本当に20年後の社会のことを考えているのだったら、だけど。

+++ 

 

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コメント

「委員長」なしでどうやって運営していくんだろ?
あ、そうか!「議長」や「書記長」が・・・・・・・〆。


>そんなことにいちいち傷ついていたら生きていけない。

同感。私も国をまたいでの転校が多かったので。

日本の教育は日本人を弱く弱くしてる気がしてしょうがありません。
将来が心配です。

ほんと、「は?」って感じですね。
子供が傷つくって、、ちゃんちゃらおかしいです。

中国では成績一位の子が学級委員になるって今日聞きました。これもまた極端ですよね。

よく言った!!!!!! まったくもって同感。たけしの名言も素晴らしい!

『本当に20年後の社会のことを考えているのだったら、だけど。』
↑ 自分の管理下にいる子供が、今傷つかないように…ということしか考えてないような気がする。本気で子供の未来を考えたら、答えはすぐに出るだろうに。
あと、平等教育と同時に首を傾げたくなるのが「受動的な安全に慣らされる子供たちの感性」。全ての危険物を取り上げられ、ナイフでうっかりケガすることも、血を見ることもなく育った子供は、痛みも知らない。刃物の危険性も知らないから注意すべきポイントもわからない。最近の日本見てると、そういうぬるま湯な環境が多すぎる気がするのは私だけ? え、私の周りだけかな。成長するためには多少のケガや流血は必要だよ。これも同じ次元の問題だと思うのだけど。。。
日本の過保護な平等教育。当たり前のように与えられる安全な環境。日本の未来がどうなっていくのかホントに心配。

>peaさん

委員長無しの理由が、全員に責任感を持たせようなどというような、前向きな転換であればそれはそれで良いことなのかもしれませんが、人権問題の観点から語られると、「…?」って気がします…。

仰る通り、精神的に弱くなっていくような気がして、心配です…。

>xiongmao07さん

わたしが知っている中国の高校では、例えば日本語の成績が一番いい子が日本語委員を、数学の成績が一番いい子が数学委員をやっていて、総合的に成績が一番いい子が委員長をやっていました。なので、委員長は大変栄誉なことのようです。

こういう決め方について、日本人から見たらちょっと違和感がありますが、中国の社会の中では当然のルールなので、これはこれでこういう社会なんですよね。

〉zhaoさん

同感です。
今の日本の子供に対する接し方は、「教育」ではなくて、「責任逃れ」のような気がしてなりません。
教育者と名乗るのであれば、もっと確固とした教育の目標を持っていて欲しいですよね。

「受動的な安全に慣らされる子供たちの感性」。これも本当に怖いと思います。
《無痛》という本は、痛覚の無い人間は他人の痛みもわからないというようなテーマで書かれていたのですが、痛みを得る機会を取り上げられた社会の中で育つ子供は、まさに「無痛」状態で、他人の痛みもわからなくなるように思います。
自分が怪我をしたことが無ければ、怪我をした痛みもわかりません。
今の方向性は、大人の責任逃れのような気がしてなりません…。
本当に、怖いですよ・・・。

日本の学校もいろいろあると思う

その後、元気ですか?★今回帰国したとき、親友が小学校の先生という友達に会ったとき言ってた。「学芸会がなくなった。なぜなら主役にならない子の親が怒るから」。北京の日本人学校も含めて、今の日本人の先生って父兄の言うことを聞きすぎる。そんなに父兄って怖いのか?筋が通ってないことでも聞いてしまう。でも学校によるんでしょうね。今回私の出た小学校に授業参観に行って来たけど、世の中の心配事は少なかったような気がする。続きは今度会ったときにでも。

>みどりさん

おかえりなさい☆
すべての学校が変わってしまったわけではないと思いますが、徐々に傾向というか、少しずつ変わって行っているのでしょうね。時代背景や日本の経済状況などいろいろと変わってきているので、教育もその影響を受けるのかもしれませんが…。
またお会いできるのを楽しみにしています!

 いくつかの事例だけを見て十把一絡げに扱うのも、特定の地域を悪く言うのもよくないことですが、下記リンクのニュースを見てもうこらえ切れなくなりました。
http://mainichi.jp/life/edu/news/20090228dde041040013000c.html

 敢えて、よろしくない表現を用いますが、「オイ、山陰のマイナー県ども、おまいら正気か?」

>けいさん

なんで、少しずつずれていくんでしょうね。
こうなってしまう理由がわからないのですが・・・。
たぶん、教育の大きな目標を見失っていて、目の前の瑣末な処理に追われた結果なのでしょうね。
軸足はぶれないで欲しいと思います。

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